Максим Слугин (Maxim Slugin、マキシム・)
カザフスタン共和国 (Қазақстан Республикасы, Qazaqstan Respublikasy, Republic of Kazakhstan) 南東部にある都市アルマトイ (Алматы, Almaty) 在住。
写真家。
Руслана Коршунова (Ruslana Korshunova、ルスラナ・コルシュノワ)
1987年7月2日にカザフスタンのアルマトイで生まれた。
ファッションモデル。
2008年6月28日、生活と活動の拠点にしていたニューヨークのマンハッタンで、自宅であるマンションの9階のバルコニーから飛び降り、自殺した。
6月が近づくと、ルスラナ・コルシュノワのことを思い浮かべることが多くなる。
一昨年の命日にはとり憑かれたようにルスラナ・コルシュノワのエントリを立てた。
昨年は意識的にエントリを立てず、Twitter でその名を呟いた。
先日から Google の検索サービスが、画像からも出来るようになったことは、多分ほとんどの方はもうご存知だろうし、手持ちの来歴不明の画像から検索を試みた方も多いだろう。
ブログの更新を始めてからは、意識して画像に名前を付けるようになったが、それ以前は DL しっぱなしにしていたことが多く、時間が経つにつれ、それがどういったものなのか調べが付かなくなって不明フォルダに塩漬け、というものが結構あり、この Google の検索サービスは大変ありがたく、早速飛びつき、画像検索をしてみた。
もう話の流れから大体見当が付いている方が多いと思うが、その時画像検索した画像の中に今回ポストした画像が含まれていていたのである。
現在、ブログの移転で更新をしない日々が2、3ヶ月続いていて、今年もエントリは立てずに過ごすことになるなと思っていた頃にポストした画像の来歴が判明したこともあって、とりあえず、一度公開してみることにした。
ポストした写真に写っているルスラナ・コルシュノワは、多分、モデルの活動を始めたばかりの頃に撮影されたものではないだろうか。
一昨年前にモデルとして初めての被写体となった写真をポストしたが、あの写真と同じような初々しさがこの写真にもある。
ついでに、昨年の6月28日にツイートした内容も以下にまとめておく。
稲垣足穂のエッセイに「美のはかなさ」というのがあり、「六月の夜の都会こそまさしくハイデッガー的消息に置かれている。それとも初夏の夜の都会には、あの各種の括弧を縦横無尽に駆使した華麗難解な哲学的叙述を想わせるものが多分に含まれている。」と書いているのだけど、その六月もあとわずか。
足穂のこの「美のはかなさ」というエッセイの後半はオスカー・ベッカーの『美のはかなさと芸術家の冒険性』に触発された内容となっていて、ベッカーの本を持っていないと、ベッカーが言ったことなのか、足穂の意見なのか分からないものとなっている。
足穂のこ「美のはかなさ」でベッカーの『美のはかなさと芸術家の冒険性』と出合った松岡正剛は後年『フラジャイル』を著すことに。
「もろさ」とは、「こわれやすさ」(Zerbrechlichkeit)のことである。あまりも先鋭化されたもの、研ぎすまされたものは、おしなべて――とりわけ内奥に激しい緊張を秘めているときには――こわれやすい。
そして、このような「先端」(Spitze)は、どれもこれも、こわれやすい・・・・・・
美的対象というものは、美しければ美しいほど、もろい。ある事物の美しさがたしかなことに思われ、ある事物の美しさをどうしても認めざるをえなければえないほど、あの「はかなさ」に敏感な人の眼には、その事物について、「はかなさ」が一層鮮明に映るのである。
だから、美しさの要求が理想的にみたされていればいるほど、「こわれやすさ」は大きい。本来の意味での古典的な作品が、一番こわれやすい。
以上、オスカー・ベッカーの『美のはかなさと芸術家の冒険性』から引用し、「(六月の夜の都会の空としての)六月の夜の都会の空」の下、今現在は曇っているその空の下で、Ruslana Korshunovaを思い出す。
Maxim Slugin Photography
FashionBank. Фотограф - Максим Слугин
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