Alice Neel (アリス・ニール)
1900年1月28日ペンシルバニア州のメリオンスクエア (Merion Square) 生まれ。
米国の肖像画家。
生後3ヶ月でデラウェア郡へ引っ越した。
高校卒業後は家計を助けるために、国家公務員試験をパスし、高給職の事務員となる。3年働いた後、フィラデルフィア女子デザイン学校 (Philadelphia School of Design for Women) の夜間クラスへ入学。なぜ女子校にしたのかその理由を、異性からの誘惑に惑わされないようにするためによ、と後に答えている。
卒業と同時に、後にヴァングラディア・ムーブメントという、キューバの前衛芸術運動に関わることになる裕福な家庭に育った芸術家の卵カルロス・エンリケス (Carlos Enríquez Gómez) と出会う。
1925年にふたりは結婚し、ハバナへ移住。キューバ前衛運動の若い芸術家や音楽家から温かく迎えられ、この交流の中で終生変わることのない政治意識に目覚める。
1926年に最初の子供を妊娠。娘のサンティラーナの誕生後、両親の元へと帰り、カルロスも後を追って渡米、そして家族でニューヨークへと移った。最初の誕生日を迎える前にサンティラーナはジフテリアで亡くなってしまう。アリスは精神的な傷を抱えることとなり、子供の喪失という出来事は、その後描く作品に顕著となる母性、損失、および不安のテーマの先例となった。
サンティラーナの死後間もなくして、アリスは第二子イザベッタを妊娠。1928年の娘の誕生は、保育所より精神病棟を彷彿させる産婦人科を舞台とした、気の滅入るような母親と赤ちゃんの肖像 "Well Baby Clinic" という作品を描くきっかけとなった。検索して該当の作品を見てもらえれば分かるけど、かなりキてる。
アリスとカルロスの関係は日毎に悪化していき、1930年春、カルロスは娘と共に家を出、キューバーへ戻ってしまった。夫と娘をいっぺんに失ってしまったアリスは深い喪失感に襲われ、重い精神衰弱となってしまう。そして、入院。すぐに退院したものの、今度は自殺未遂を起こし、フィラデルフィアの一般病院の自殺未遂患者が入れられる病棟で約1年過ごすことになった。1931年に退院しすると実家に戻り、しばらく療養生活を送った。、快復までの間、親友の Nadya Olyanova が長期間に亘ってアリスの様子を窺っていたという。快復後、アリスは再びニューヨークへ戻っていった。
ニューヨークでの活動を再開したアリス・ニールは、地元に暮らす人たちのポートレートを描き、1933年に制作した 『Joe Gould』 のポートレートは一躍アリスを有名にした。このポートレートには3人の裸の男が描かれている。左右の男達は胸から下辺りしか描かれておらず、顔が見えない。その代わり目に付くのは、灰色がかった乳白色の体へ対比されるように強調された赤茶けたペニスである。中央には椅子に座った全裸のジョー・グールドが描かれていて、このグールドさん、不思議なことに股間のペニス以外にもお腹からペニスを生やし、椅子の下にもニョッキリとペニスを垂らしているのだ。言葉で説明しても分かりづらいと思うので、興味のある方は検索してみるといいだろう。
アリスが描く人物たちの多くには、芸術家や知識人、共産党の政治指導者が含まれていて、彼らはアリスの作品を賞賛していた。
1933年の末、アリス・ニールは雇用促進局(WPA)の雇用を受け、生活にゆとりが生まれる。
1930年代、ニールはアーティストとして、ある程度の悪名を馳せ、ダウンタウンの知識人と共産党リーダーたちの間では良い地位を確立していった。ニールは共産党メンバーはなかったが、共産主義の理想へ連帯感と共感は続いていたのである。
1939年には、1935年に会ったプエルトリコ人のナイトクラブの歌手ホセ・サンチャゴとの間に男児を儲ける。リチャードと名付けられた。ニールは、スパニッシュハーレムへ引っ越し、隣人たち、特に女性と子供を描き始めた。しかし1940年、ホセ・サンチャゴはニールの元から去ってしまう。
翌年、共産主義者の知識人であった恋人のサム・ブロディとの間に次男ハートリーが誕生。
2年間に渡って学校で絵を教え始める。
この10年間、ニールは共産党の機関紙 "Masses & Mainstream" のためにイラストを手がけ、アップタウンの住人たちのポートレートを描き続けていた。
1940年から1950年にかけ、1944年の初の個展を除くと、ニールの作品がギャラリーから消えてしまう。
そして1950年の末。12月26日から1月13日にかけ、実に6年ぶりとなる個展を A.C.A. Gallery で開催。作品17点を公開した。
ジョゼフ・ソルマン (Joseph Solman) はパンフレットに次のように書いた。
Alice Neel is primarily a painter of people. Waifs and poets, friends and Puerto Rican neighbors come in to sit for her - and she probes one without sermon or sentimentality. At times, an element of foreboding, akin to that in the work of Munch, creeps into her work; and there are portraits that are almost vivisections. But always her communication is so irresistibly direct that a great intensity infuses her work.左派の著名なジャーナリストであり、二ールの友人であったマイク・ゴールド(Mike Gold)は、12月27日付のDaily Worker誌に次のような批評を書いた。
There isn’t much good portrait painting being done today, and I think it is because with all this war, commercialism and fascism, human beings have been steadily marked down in value, despised, rejected and degraded.また、ニューヨークタイムズも数日遅れて次のようなレビューを載せた。
Emotional values predominate in Alice Neel’s paintings of people at the ACA Gallery. Her approach is frankly expressionistic; she uses a great deal of black, accentuating profile lines, and catches figures in strongly individual poses. And its dramatic intensity succeeds because of unmistakable artistic sincerity.このような援護もあって、久しぶりに開いた個展は成功に終わったのである。
翌1951年には、マイク・ゴールド主催の個展が Communist-inspired New Playwrights Theatre で4月23日から5月23日にかけ開催され、こちらも成功。
マイク・ゴールドはパンフレットに次のように書いている。
Alice Neel is a pioneer of socialist-realism in American painting. For this reason, the New Playwrights Theatre, dedicated to the same cause, presents her paintings to its audiences, who will know how to understand, appreciate and encourage one of their own.
1959年、アリス・ニールは写真家のロバート・フランクに映画に出て欲しいと乞われ出演する。『プル・マイ・デイジー "Pull My Daisy"』 というこの映画は、映画としてはロバート・フランクの処女作に当たり、写真集 『The Americans』 出版直後から製作が開始された。脚本とナレーションをジャック・ケルアック (Jack Kerouac) が務め、アレン・ギンズバーグ (Allen Ginsberg) をはじめ、ピーター・オーロフスキー (Peter Orlovsky)、グレゴリー・コーソ (Gregory Corso) などが出演している。
1960年代になると展示会に参加することも多くなり、雑誌に作品が掲載されることも多くなっていく。また、初めてのヨーロッパ旅行を経験するのもこの時代になってから。そして、女性解放運動の隆盛に伴い、ニールの評価は益々高くなっていった。1970年、『性の政治学 "Sexual Politics"』 を出版したばかりのケイト・ミレット (Kate Millett) に Time 誌の表紙を飾るポートレートを描いて欲しいと依頼される。このポートレートは、見るからに怖いので今回はポストをしない。よって、興味のある方は云々・・・
1970年にはもうひとり、アメリカを代表する人物のポートレートを手がけている。ソファにちょこんと座った弱弱しい人物。上半身は裸で白髪。最初に見たときはどこかのおばあちゃんかなと思ったのだけど、タイトルを見て、アリス・ニールの意地の悪さに笑ってしまった。この人物画誰なのかはここに書かないので、興味のある方は、って、まあ、いないと思うけど、個々で探してください。
1984年10月13日、評価が高まる中、ニューヨークのアパートで亡くなった。
ポストしたのは、
"The De Vegh Twins" (1975)
"Linda Nochlin and Daisy" ()
"Portrait of Girl in Blue Chair" (ca.1970)
"Religious Girl" ()
"Young Woman" ()
"Faith Ringgold" ()
"Isabetta " (1934)
"Kitty Pearson" (1973)
"Nadia and Nona" (1933)
"Nancy and Olivia" ()
の10点。
Alice Neel
Wikipedia
Tate Collection | Alice Neel
Alice Neel
UAM: Kinships: Alice Neel
CGFA- N- Page 3
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