名古屋市を拠点に活動している彫刻家、藤井健仁の個展 「New personification Vol.4 私たちのどこまでが鉄ではないのか」 が日本橋馬喰町にある unseal comtemporary で開催される。
開催期間は2012年11月9日から2012年12月23日にかけて。
初日の明日、というか今日9日には18時からオープニングパーティが催されるとのこと。
藤井健仁展 Takehito Fujii Solo Exhibition
「New personification Vol.4 私たちのどこまでが鉄ではないのか」
11月9日(金)〜 12月23日(日)
Open: 金・土・日 13:00 - 19:00
Opening Party 11月9日 18:00 - 20:00
[作家ステーツメント]
鉄で人形を造っているだけ、と言えるかもしれない。けれど制作中に得られる直観の中では、その鉄と人形
の組み合わせは、実材彫刻に於いての素材とテーマの関係を超えた結びつきがあり、オールドスクールな制
作過程を経ながらも、何かで何かを表現すると云った間接的な事をしている様には思えないのだ。
近現代の環境は鉄の強度への信頼を前提とした想像力で成り立っている。戦争や都市は勿論だが、高い塔に
登り景観を楽しみ、軽装で車に乗ってデートすることもこうした想像力の延長線上にある。福島にて鉄製の
160ミリの圧力容器が溶融した途端、美術も含めた幾つかのイメージが変更、或はリアリティーを持ち得な
くなったということは、それまでこの鉄の強度が少なからずそれらイメージを支え担保していた為だと言え
る可能性がある。
だが鉄に由来する想像力はそこに留まるものではない。それがヒトの生命を維持しその血液を赤色たらしめ
尚且つ鉄鉱床として地球の質量のおよそ三分の一を占めるものでもあり、それは核融合を伴う地球生成以来
存在し、原初には総ての炭素生命の発生を触媒した事を勘案するならば、むしろ遠い過去から現在まで、そ
してミクロからマクロの領域に渡って、ヒトの来歴や存在は鉄の掌中にあるといってよく、我々のどこまで
が鉄と関わりが無いのかといった線引きは非常に不確かなものとなる。遠大な時間と膨大な質量を持つ鉄鉱
床に視点があるとするならば、そこからはヒトと鉄人形を隔てる要素はさほど多く数えられる事もなく、さ
して異なるものであるとは映らないのではないか。そして「我々こそが鉄から出来た人形なのではないのか」
といった妄想さえも生まれてくる。
unseal comtemporary(アンシールコンテンポラリー)
103-0002
東京都中央区日本橋馬喰町 2-5-17 (1F奥のスペース)
http://unseal.jp/j/
ステーツメントにもあるように、人と鉄との関わりは歴史が長く、我々の営みの歴史は鉄と共にあり、藤井健仁の制作する人形はその鉄によって出来上がっていて、「我々こそが鉄から出来た人形なのではないのか」 と錯覚させてしまうものがある。
その藤井健仁の人形を金属成分に乏しいとされる地球の衛星、月の、その荒涼とした大地に数百、数千、数万と立ち並べてみたい。
久しぶりに藤井健仁の人形を見て何故かそんなことを思ったのだけど、それはひと月前、ニコライ・ネフスキーの 『月と不死』 を十数年ぶりに再読したからかもしれない。
人のいない月面での鉄人形の少女たちの不死のスティルライフ、素敵すぎるだろ?
《関連エントリ》
traveling with the ghost: 藤井健仁 (Takehito Fujii)
藤井健仁 彫刻総覧 弐
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