Tuesday, May 29, 2007

浅野 信二 (Sinji Asano)







浅野信二 (Sinji Asano)
1966年横浜生まれ。
画家。

1975年、画家・黒木邦彦に師事し、デッサン、油彩画といった絵画技術の手解きを受ける。
1986年、ウイーン幻想派に学んだ画家たち (マリレ・イヌボー・小野寺、坂下広吉、鈴木和道など) により 「Wienermalschule (ウィーナーマルシューレ)」 という美術学校が開校し、同校で油彩とテンペラによる混合技法を坂下広吉、マリレ小野寺に学んだ。
その後、多摩美術大学に進み、1991年に卒業。
画廊やデパートを中心に個展、グループ展などの活動を行い現在に至っている。
2000年以降、それまで培って来た古典技法の研究を更に進め、下地や溶剤の工夫に加え、全ての作品において使用する油絵の具を、自家製の「手練り油絵の具」としている。これは19世紀に崩壊する以前の、油絵が幾世紀もの時間をかけて完成させた技法の体系を復興させ、正しく受け継ごうとする意志による。
「浅野信二作品の技法的特徴」 より

どこか海外のブログで1枚目の "Matador" という作品を見かけたのが最初の出合いで、ヨーロッパの画家で、サルバドール・ダリ (Salvador Dalí) やジョルジョ・デ・キリコ (Giorgio de Chirico) 辺りから影響を受けた人なんだろうなって印象だった。
だけど、リンクから辿り着いたのが浅野信二という日本人画家のサイトで、思ってもいなかったことから驚いたのだが、サイトで作品をまとめて見ると、こういう世界観をこんな風に描けるのって日本人しかいないよねと思えてくるから不思議だ。

ポストしたのは、

"Matador" (1999)
"凱旋 (Triumph)" (2005)
"Archive" (2004)
"カノポス (Kanopos)" (2005)
"シシーの浜辺 (Sisi on the Beach)" (2005)
"蒐集家 (Collector)" (1999)

の6点。
1点目の "Matador" から連想した画家はダリやデ・キリコだったのだけど、実際にはウイーン幻想派に学んだ画家から学んでいるので、僕の連想は的外れだったということになる (が、学んだ流派の影響がそのまま作品に反映される/されなければならない、という訳でもないだろうから的外れだったなどと考える必要などないのかもしれない)。
テーブルの角横にシンメトリカルに頬杖を付く二人の少女がいて、その前のテーブル上では今まさに闘牛が行われているという幻想的な作品 "Matador" は、シンメトリカルな画面構成と、その作品の上半分を占める深い赤が印象的でその下を深い黒が更に下に広がる白とを裁断するかの様に横に太く横に流れてるという一見明快な画面構成を持っているのだが、しかし微妙なズレを孕んでいることと沈み込むような色彩が見る者を憂鬱で不安な気持ちにさせる。
そういったところにとても惹き付けられ、たまに見返したい気持ちにさせられるのだと思う。

浅野信二WEBSITE/Asasinsane
青木画廊--AokiGallery


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