George Frederick Watts (ジョージ・フレデリック・ワッツ)
1817年2月23日にロンドンのマリルボーン (Marylebone) で生まれ、1904年7月1日にイングランド南東部にあるサリー州 (Surrey) のギルドフォード (Guildford) 南部にある村、コンプトン (Compton) で亡くなった。
ヴィクトリア朝時代の画家、彫刻家で、象徴主義運動にかかわった。
ある時期までの作品を見ると、ラファエル前派の、特にダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ (Dante Gabriel Rossetti) からの影響が強い作風ので、ロセッティよりも年下の画家だと勘違いしていたが、ワッツの方が11歳年上だった。
例えば、ポストした作品の1枚目 「選択 "Choosing"」 は1864年に制作された作品で、ラファエル前派の影響下にあったワッツの耽美主義期を代表する作品のひとつ。
この作品のモデルは、1864年2月20日に結婚した29歳年下のエレン・テリー (Ellen Terry) で、当時は駆け出しの舞台女優だった。
この結婚生活は1年も続かぬうちに、エレンが他の男と駆け落ちして破綻している。
エレン・テリーは後にイギリスの演劇史に残る舞台女優となった。
ワッツは1840年代の中頃、イタリアを訪問しているのだが、そこでシスティーナ礼拝堂のミケランジェロが描いた天井画や、ジョット・ディ・ボンドーネが描いたスクロヴェーニ礼拝堂の装飾画に強い感銘を受けているのだが、そういった古典主義からの影響が1870年代になってワッツの作品に表れるようになる。
また、この頃には絵画以外の、比較神話学者フリードリヒ・マックス・ミュラーやダーウィニズムなどの影響を受けて、その影響を作品の中で表現しようと試みるようになっており、寓意的な傾向の作品が増え、象徴主義と関わるようになった。
1885年に描かれた 「希望 "Hope"」 は、そういった象徴主義時代を象徴する作品で、ワッツといえばまずこの作品を思い浮かべる方が多いのではないだろうか。
ポストしたのは、
「選択 "Choosing"」 (1864)
「希望 "Hope"」 (1885)
「ドロシー・テナント "Dorothy Tennant ( Later Lady Stanley)"」 (-)
「テリー姉妹 "The Terry Sisters"」 (-)
「エヴェリーン・テナント "Eveleen Tennant (later Mrs. F. W. H. Myers)"」 (1880)
「ジョージ・オーガスタス・キャヴェンディッシュ=ベンティンク婦人と子供たち "Mrs George Augustus Frederick Cavendish-Bentinck and her Children"」 (-)
「無垢に這い寄る死 "Death Crowning Innocence"」 (1886-1887)
「プシュケ "Psyche"」 (1880)
「ミス・ジョージナ・トレルヌ "Miss Georgina Treherne"」 (c.1856)
「エンデュミオン "Endymion"」 (1872)
の10点。
"Endymion" の男女の位置を逆にするとマルク・シャガールの "Birthday" になる。
意識してそうしたのかと思い検索してみたが、それらしき答えに辿り着かなかった。
回想録をパラパラしてみたが、イギリスの画家への言及など全くないし、偶然こうなったってことなのかな。
カップルの片方が空中に浮遊して接吻している作品って、他に何かあったっけ?
Wikipedia
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