Tuesday, May 16, 2006

Arthur Rackham











Arthur Rackham (アーサー・ラッカム)
1867年9月19日にロンドンでうまれ、1939年9月6日にイングランド南東部のリンプスフィールド (Limpsfield) で亡くなった。
英国挿絵黄金期を代表する挿絵画家。

1879年にシティー・オブ・ロンドン・スクール (City of London School) へ入学し、犬の画家として有名なハーバート・ディクシー (Herbert Dicksee, Herbert Thomas Dicksee、ハーバート・トーマス・ディクシー) に絵画の指導を受ける。
1883年の夏と冬に、学校から絵の賞を授与されている。

16歳の頃、アーサー・ラッカムは健康を損ない、1884年の1月から6月までオーストラリアで療養し、その間に絵も描いた。
1885年秋、学費を稼ぐためにウェストミンスター火災保険会社に勤務し、ランベス美術学校 (Lambeth School of Art) の夜間に通い始めた。
学校ではビクトリア朝時代の著名な風景画家ウィリアム・ルウェリン (William Llewellyn) の指導を受け、後に詩人、作家、アーティストとして活躍するトマス・スタージェス・ムーア (Thomas Sturge Moore)、アーティストとして活躍するチャールズ・ヘーゼルウッド・シャノン (Charles Haslewood Shannon)、アーティスト、イラストレータター、作家、版画家として活躍するチャールズ・リケッツ (Charles Ricketts) と友人となっている。
卒業後はウェストミンスター火災保険会社に勤める傍ら総合誌の『ポール・モール・バジェット (Pall Mall Budget )』誌に定期的にイラストを提供するという生活をしばらく続けたが、1892年、25歳で二束の草鞋を止め、『ウェストミンスター・バジェット (Westminster Budget )』誌でイラストレーターとして活動をはじめる。

1893年、トーマス・ローズ (Thomas Rhodes) の "To the other side" で初めての挿絵を手がけ、翌1894年には『ゼンダ城の虜 (The Prisoner of Zenda)』で有名な作家、アンソニー・ホープ (Anthony Hope) の "The Dolly Dialogues" の挿絵を手がけたが、これがその後のアーサー・ラッカムの挿絵画家としての片鱗を見せる最初の仕事となった。

1903年、エディス・スターキー (Edyth Starkie) と結婚し、1908年にひとり娘のバーバラを儲けている。

アーサー・ラッカムが手がけた挿絵をすべて羅列するのも大変なので、1900年から1910年に手がけたものをとりあえず発表順に並べてみると、

1900年
『グリム童話集 (Fairy Tales of the Brothers Grimm)』
『ガリバー旅行記 (Gulliver's Travels)』

1905年
『リップ・ヴァン・ウィンクル (Rip van Winkle)』

1906年
『ケンジントン公園のピーター・パン (Peter Pan in Kensington Gardens)』

1907年
『不思議の国のアリス (Alice's Adventures in Wonderland)』

1908年
『真夏の夜の夢 (A Midsummer Night's Dream)』

1909年
『ウンディーネ (Undine)』
チャールズ・ラムとメアリー・ラムの『シェイクスピア物語 (Tales from Shakespeare)』

1910年
『ラインの黄金 (The Rhinegold)』
『ワルキューレ (The Valkyrie)』

というラインナップとなる。
未だに人気が衰えない、いや、インターネットの普及で更に人気が高まったと思われる『不思議の国のアリス』を始めとして名作・傑作がずらり。
『ウンディーネ』が個人的には好みだったりするのだが、それはまたいずれポストするとして、ここでは様々な本の挿絵をつまみ食い的にチョイスして、10点ばかりポストしてみたい。

Wikipedia
Rackham Fairy and Fairy Tale Art (Arthur Rackham)
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