ゴングのように鳴りわたる時間、縁からあふれるほどにそこを満たす滝、
渦巻き、いなごの群れ、雲、銀河、埃、物音、事件、あれこれ、あれそれ、etc、etc、etc......
Monday, May 22, 2006
Peter Sorrell
Peter Sorrell (ピーター・ソレル)
1948年4月6日にイングランド南部にあるサウス・イースト・イングランド () のサリー州 (Surrey) の村、チップステッド (Chipstead) で生まれた。
15歳の誕生日の翌日、グラフィックデザインを学ぶために地元の学校からライギットにあるライギット美術学校 (Reigate School of Art) へと進んだ。
しかし、卒業を前に学校を去っている。
スコット/ジャッフェ・アンド・タルマージ (Scott/Jaffe and Talmadge) とドラムンド & パートナーズ (Drummond & Partners) のグラフィック・デザイナーとして働きなから、カナダにでも移住するかなという考えをしばらく弄んでいたが、結局、オーストラリア行を決め、1969年に渡豪。
シドニーのコナガン & メイ社 (Connaghan & May) でアートディレクターとして働きながら、フリーランスのデザイナーとしても活動。
また、シドニー大学 (Sydney University) で開かれていた著名な美術批評家ロバート・ヒューズ (Robert Hughes) の講義に出席し、その講義と著書 "The Shock of the New" に大きな影響を受け、ピーター・ソレルは再び美術に情熱を傾けるようになり、これが人生の転機となった。
ピーター・ソレルは一旦すべてを投げたすと、南東アジアを隈なく旅してまわった後、しばらくの間シンガポールのバティ広告 (Batty advertising) で働き、その後ギリシャの島に移り住んだ。
その後、アメリカのアーティスト、ダグラス・ジェイムズ・ジョンソン (Douglas James Johnson) からフランス南東部にあるアルプ=ド=オート=プロヴァンス県 (Alpes-de-Haute-Provence) のコミュヌ、フォルカルキエ (Forcalquier) にある家――12世紀頃の建築物で、周囲の美しい環境と孤独がそこにはあった――をソレルが望む間住まいとして提供し、ソレルはこの地で自分にはやはり美術しかないという思いを新たにしたのだという。
ソレルがフォルカルキエの村で仕上げた作品は、1979年10月にシドニーのロビン・ギブソン・ギャラリー (Robin Gibson Gallery) で開催された最初の個展に出品された。
それを機にソレルは展示会を開くようになり、ローマでリカルド・トマシ・フェローニ (Riccardo Tommasi Ferroni) に絵画を学んだ後に拠点をパリに移した。
ポストしたのは、
"Streams of dreams 3" (1990)
"Third summer" (1983)
"Count something" (1984)
"Marie Jose back" (1984)
"Well, its something like that" (1984)
"Ophellia alive" (1981)
"Love from room 109" ()
"If you have good reason you don't need to shout" ()
の8点。
6枚目、オフィーリアが生きているとか、いくらあられもない姿を晒していようと、許されませんな。
Peter Sorrell - Paintings - Colour Drawings - Black and White Drawings
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