Francesca Woodman (フランチェスカ・ウッドマン)
1958年にコロラド州 (Colorado) のデンバー (Denver) において画家・写真家として有名なジョージ・ウッドマン (George Woodman) と陶芸家として有名なベティ・ウッドマン (Betty Woodman) との間に生まれた。
写真家を目指していたが挫折。
1981年、ニューヨークで自ら命を絶った。
両親が著名な芸術家で、イタリアのフィレンツェの田園地方に古い農場を利用したサマーハウスを持っていたことから、子供時代はそのサマーハウスで過ごすことが多く、大きな影響を受けたという。
記録によると、最初のフィレンツェのサマーハウス滞在は1959年から1960年にかけてのこと。
まだ幼かった頃のこの最初の滞在の記憶がはっきり残っていたとは思えないが、その後折に触れて過ごすことになるそのサマーハウスでの生活は、古い造りの高い天井の部屋やひび割れた壁、古めかしい装飾といったものが子供のフランチェスカ・ウッドマンにはたいそう魅力的に映り、まるで自分を覆う皮膚のように感じられたほどだったそうだ。
1965年から1966年の内、1年は丸々フィレンツェ過ごし、現地の小学校に通い、アメリカに戻ったフランチェスカはコロラド州のボールダーにある公立の学校に通学。
1972年、フランチェスカはマサチューセッツ州のアンドーバーにあるアメリカでは数少ない芸術コースのある私立の全寮制女子学校アボット・アカデミー (Abbot Academy) に入学。
教師の一人で写真家のウェンディ・スナイダー・マクニール (Wendy Snyder McNeill) に影響を受けた。
1973年から1974年までをフィリップス・アカデミー (Phillips Academy) でウェンディ・スナイダー・マクニールの兄弟のドン ・スナイダー (Don Snyder) に学んだ。
1974年から1975年の間はボールダー高校 (Boulder High School) に通い、1975年6月に卒業。夏は家族と一緒にプロビデンスで過ごした。
1975年から1979年にかけて、ロードアイランド州 (State of Rhode Island and Providence Plantations, RI) のプロビデンス (Providence) にあるロードアイランド造形大学 (Rhode Island School of Design, RISD、ロードアイランド造形大学、ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン) に通い、1977年から1978年は RISD のローマ校のプログラムに参加し、1978年秋にプロビデンス校に戻って1979年に卒業し、 ニューヨークへ移り住んだ。
ニューヨークで生活を始めたフランチェスカ・ウッドマンは、最初の夏をワシントン州 (Washington) スタンウッド (Stanwood) 過ごし、写真家のキャリアをスタートすべくニューヨークに戻った。何人かのファッションフォトグラファに自分で撮影したポートフォリオを送ってみたが、コンタクトを取る者は現れなかったという。
1980年夏、フランチェスカはピーターバラ (ニューハンプシャー州 (New Hampshire) のピーターボロ (Peterborough) にあるアート・コロニー、マクダウェル・コロニー (MacDowell Colony) のアーティストとなった。が、その年の終わり頃には仕事と壊れた関係 (人間関係?) のため落ち込んでいたという。
そして1981年1月19日。冬のニューヨークでロフトの窓を跳び越え、自殺。
ブログを始めるまでは、ネットの中をうろつきまわって気に入ったイメージをDLすることに夢中で、それが誰の作品なのかを調べることがあっても、制作者はどういった人なのかといったことをあまり気にすることは無かった。
それがブログでアーティストの情報の整理して纏めるようになると、これまで視界に入ることのなかった制作者の様々な情報に出合うことになる。
例えばこのフランチェスカ・ウッドマン。
自分好みの写真を撮る人だなくらいの認識しかなかく、25年以上も前に20歳そこそこの女性が撮影したものだとは思いもしなかったし、22歳で自ら命を絶ってしまったということなどそれこそ想像の埒外のことだったのだ。
作品を鑑賞するのに作品と作者を重ね合わせる必要はない。
が、歳を取って緊張感がなくなったこともあり、そのことを知ってからというもの、フランチェスカ・ウッドマンの作品を見ると感傷的になってしまう。
通俗的な想像だが、フランチェスカの自分の才能を確信した、自信に満ちた写真を見ると、自分の作品に対して誰も反応しないなどということを考えてもいなかったのではないだろうか。
思いがけない挫折。
誰もが一度はそういった挫折を経験し、立ち止まってしまったり、後を向いてしまったりしたことくらいあるだろう云々、と話を一般化するのは退屈なのでこれ以上は省略するが、その一度の挫折がフランチェスカ・ウッドマンには決定的な一撃となってしまったのである。
そして、フランチェスカ・ウッドマンは絶望し自ら命を絶った。
残されたのは自信に満ち溢れた写真で、そこには輝かしい時間がそのまま封じ込められている。
だから今見ても眩しく、だから見る者を切ない気持ちにさせるのだと思う。
Wikipedia
A Francesca Woodman Gallery
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情報ありがとうございます.
ReplyDeletescrapしました.