ゴングのように鳴りわたる時間、縁からあふれるほどにそこを満たす滝、
渦巻き、いなごの群れ、雲、銀河、埃、物音、事件、あれこれ、あれそれ、etc、etc、etc......
Tuesday, May 16, 2006
John Bauer
John Bauer (ヨン・バウエル)
1882年6月4日にスウェーデンのヨンショーピング市 (Jönköping) で生まれ、1918年12月20日に亡くなった。
スウェーデンの画家。
ヨン・バウエルには兄弟が二人とと姉が一人いたが、姉のアンナ ・バウアー (Anna Bauer) は13歳で亡くなり、残された兄弟の成長に大きな影響を与えた。
家族は父親の経営する加工食肉店のアパートで暮らしていたが、ヨン・バウエルはそこでスケッチをし絵を描く時間を与えられ、16歳になると絵画の勉強をするためにストックホルムに移り、2年後、スウェーデン王立芸術アカデミー (Konstakademien, The Royal Swedish Academy of Fine Arts) に入学。
アカデミーでエステル・エルクヴィスト (Esther Ellquist) と出会い、卒業後、ふたりは1906年12月に結婚。
1908年から1910年にかけ、夫婦は絵の勉強を目的とした旅行でドイツとイタリアを訪問。
バウエルの初期の作品はスウェーデンの同時代の著名な画家、アルベルト・エングストレーム (Albert Engström) とカール・ラーション (Carl Larsso) の影響を少なからず受けている。
また、バウエルは妻のエステルを作中の登場人物のモデルに見立てて何度も描いた。
最も有名な例は妖精のお姫様、ということになるらしいが、それも含め、写真や肖像画で見る限り、さほど髪が長いとは思えないエステルが、一旦も出るとして作中に描かれると、ロングの巻き髪になっているのが面白い (もしかしたら髪をアップにして束ねているからそう長く見えないだけなのかもしれないが)。
仕事も増え、子供も生まれ、順調な人生を歩んでいるかに見えたバウエルだったが、次第に自己不信と鬱病に悩まされるようになり、第一次世界大戦末期、結婚生活はついに破綻を迎える。
しかし、バウエルはエステルと話し合いを持ち、何とか家庭を維持していきたいと考えていた。
話し合いの結果、ストックホルムの新しい住まいで新しい人生をやり直すこととなり、家族でフェリーに乗船、ストックホルムへと向かった。
当初、列車で目的地に向かう予定だったそうなのだが、生憎の事故で移動をフェリーに変更になったのだという。
新生活を始める場所への短い船旅、になるはずだった。
だが、フェリーが難破し、ヨン・バウエルは家族と共に亡くなった。
Wikipedia では、アーサー・ラッカム (Arthur Rackham) やスラミス・ビュルフィング (Sulamith Wülfing) やカイ・ニールセン (Kay Nielsen) など、同世代の挿絵画家にも影響を与えたとあるが、スラミス・ビュルフィングはその可能性がなくもないが、カイ・ニールセンはウンベルト・ブルネレスキ (Umberto Brunelleschi) やジョルジュ・バルビエ (George Barbier) やゲルダ・ヴェーゲナー (Gerda Wegener、ゲルダ・ヴェゲナー) やエルテ (Erté) といったアール・デコのイラストレーターたちと関連付けた方がしっくり来るし、アーサー・ラッカムに至ってはヨン・バウエルが活躍し始める前に既に一線で活躍する挿絵画家で、そのスタイルももう確立されていたといってよく、影響云々という話はどうも納得のいかないところがある。
現在活躍しているブライアン・フラウド (Brian Froud) やレベッカ・ゲイ (Rebecca Guay) などへの影響は間違いなくあるのだろうが。
あ、スラミス・ビュルフィングのエントリで書き忘れたが、キヌコヤマベ・クラフト (Kinuko Y. Craft) が影響を受けたアーティストはメキシコで活動した女性シュルレアリストたちという気がしなくもないが、ビュルフィングもそのリストの中にいるのではないかと思う。
Wikipedia
John Bauer - a set on Flickr
John Bauer. Комментарии : LiveInternet - Российский Сервис Онлайн-Дневников
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