「アトリエ・マナッセ (Atelier Manassé)」 というのは、オルガ・ソラリクス (Olga Solarics) とアドリアン・フォン・ヴラシックス (Adorja'n von Wlassics) という夫婦が、オーストリアの首都ウィーン (Wien, Vienna) で1922年から1938年にかけて経営していたフォトサロンのこと。
スタジオの経営の主導権は妻のオルガ・ソラリクスにあったらしく、そのヌード写真への並々ならない興味がサロンの方向性を決めていたようだ。
映画産業が急成長をとげていた当時、主演女優級の女優をモデルとして起用したりすることで華やかさが作品に反映されている。
また、フォトグラファに撮影現場をコントロールする権利を与えたことが撮影に当たったフォトグラファの創造性を刺激し、高い技術とアイデアが作品に反映されることになり、グラマラスでエロティック、そして時にユーモラスな作品を多く世に送り出した。
海野弘の言う 「ジャズ・エイジとして、ローリング・トゥエンティーズとして、狂乱の年月として、黄金の時として、ノスタルジックに回顧される」 1920年代の空気が詰まった 「アトリエ・マナッセ」 の写真は、今見ても楽しめるし、当時も一般から広告代理業者等のクライアントまで、高い支持を得たたという。
1980年代の中頃、モニカ・ファーバー (Monika Faber) の手で 「アトリエ・マナッセ」 の写真が一冊の本にまとめられた。
"Die Montierte Frau" と題されたこの写真集は当時それなりに流通していたらしく、この中に収められていた "Mein Mäuschen Um (My Little Mouse)" という、1928年に撮影された作品が、福武書店から出版されたスティーヴ・エリクソン (Steve Erickson) の 『 黒い時計の旅 "Tours of the Black Clock" 』 にカバー・デザインとして使われている。
1枚目にポストした作品がその "Mein Mäuschen Um (My Little Mouse)"。
この作品の画像を求めて何度か検索したことがあったが、いつも見つけられずに終わっていた。
それもそのはずで、『黒い時計の旅』には、上述の写真集の編者であるモニカ・ファーバーが "Mein Mäuschen Um (My Little Mouse)" の撮影者であるかのようにデータの記載がされているのだ。
そりゃ、見つからないよね、と検索スキルのなさを棚に上げて言ってしまおう。
『黒い時計の旅』 というタイトルに惹かれ、書店でその本を手に取った日のことを憶えている。
タイトルと "Mein Mäuschen Um (My Little Mouse)" が使用されたカバー・デザインで本のイメージが勝手に広がり、帯に書かれた 「アドルフ・ヒトラーのためにポルノグラフィーを書いた男が辿った数奇な人生の物語」 という惹句や裏表紙の
『黒い時計の旅』は、フィリップ・K・ディックの『高い城の男』と並び称されるで、凄い本に出合ったんじゃないのかと胸が高鳴り、ボーとしたままレジに並んで 『黒い時計の旅』 を購入した、という自分を主観と客観が入り混じったで映像思い浮かべられるくらい思い出深い出合いだったのだ。
"パラレル・ワールド"テーマの傑作である。
1938年のウィーンのある夜、20世紀は一人の怪人物の手によって、まっぷたつに引き裂かれる。
歴史を切り裂いた怪物の名前は、バニング・ジェーンライト。アドルフ・ヒトラーのためにポルノグラフィーを書く男。
そして、二つの世界を旅する男。彼の口から果てしない迷路のような物語が語られる。
それは呪われた愛をめぐる"もうひとつの二十世紀"の物語であった。
平行してロシア系亡命者デーニア親子と謎めいた〈二十世紀の見取図〉の物語、
デーニアの息子マークの遍歴の物語が織り混ぜて物語られ、
二つに切り裂かれた世界はふたたび重ね合わさって行く・・・・・・。
トマス・ピンチョン、ウィリアム・ギブスン等の作家たちから激賞されている現代アメリカ文学の新星、
スティーヴ・エリクソンの代表作。
最近はそんな質問を受けることなど日常生活ではあまりなくなってしまったが、以前は誰かに好きな本は?と尋ねられると、即、「『黒い時計の旅』!」 と答えていた。
今もし同じ質問をされても 「『黒い時計の旅』」 と答えることが出来るだろうか。
『黒い時計の旅』を翻訳した柴田元幸にはポール・オースターの 『幽霊たち』 で最初に出合ったのだが、『黒い時計の旅』 を読んでからは最も信頼できる翻訳者という地位が出来上がった。
尤も、最近はご無沙汰気味なのだが。
そして福武書店。
ある時代に海外文学に耽溺していた者は皆、福武書店と国書刊行会には足を向けて寝られないくらいお世話になっているはずだ。
福武は文庫の海外文学のラインナップも素晴らしかった。
ハードカバーの方のラインナップも今振り返っても惚れ惚れとするものがあり、その装丁 (というか、ここではカバーデザイン) も統一されたフォーマットがないにもかかわらず統一感があって、それを見ているだけでも何か高揚した気分になってきたものだった。
装丁は坂川栄治 (サイトを覗いてみたが、この方が装丁を担当した本を持っている率が非常に高い) と古賀智顕が交互 (じゃないかも) に担当していたが、本の内容を反映するようなイメージを写真やイラストから選ぶセンスが群を抜いてよく、20年経った今見ても (このエントリをまとめているのは2001年) うっとりとなる。
福武書店が文学出版から手を引いたことが今でも残念でならない。
以上、ヤン・ソーデック (Jan Saudek)、ボブ・カルロス・クラーク (Bob Carlos Clarke)、マイケル・パークス (Michael Parkes)、そして、アトリエ・マナッセ (Atelier Manassé) というエントリの流れで福武書店を偲んでみた。
この後、スティーヴ・エリクソンの 『黒い時計の旅』 関連のエントリを1つはみ、国書刊行会の 『文学の冒険』 シリーズからも1冊選んでエントリを立ててみたい。
Wikipedia
Studio Manasse
10 Groteskakte aus dem Atelier Manassé (1922 – 1938) « Frank T. Zumbachs Mysterious World
Atelier Manassé - Vintage Erotica Forums
Скачать файл - Ателье Манассе / Atelier Manasse. Vienna, Berlin. Портреты 1920-30-х.
M A R I S K I N E C A F É: Full sugar crash mode - part II
adski_kafeteri: Atelier Manasse
Künstler
» Atelier Manassé. Johan Svenson Production Design
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