Jan Saudek (ヤン・ソーデック)
1935年5月13日にチェコスロバキア (現チェコ) のプラハ (Praha, Prague) で生まれた。
チェコの写真家。
大所帯の家族だったが、父親がユダヤ人であったことから、第二次世界大戦当時、ドイツ人からの迫害を受たという。
家族は皆収容所送りとなり、兄弟の内6人が収容所内で殺害されてしまう。ヤン・ソーデックは現在はグラフィックノベル作家として有名な兄弟のカレル・ソーデック (Karel Saudek) と共にポーランド国境沿いにある子供用収容所に送られ、そのまま終戦をむかえた。
1950年、印刷屋として働き始めたソーデックはコダック社製のカメラ、ベビー・ブラウニー (BABY Brownie) を手に入れ写真を撮り始めた。
1952年には写真家に弟子入りする熱中振り。
1954年から1956年までの2年間を兵役で過ごし、除隊。
1958年に Marie Geislerova と結婚。
1959年に Flexaret 6x6 というカメラらしいカメラを購入。また、この頃に絵を描くようになった。
1963年に自身の最初の展示会を開催。
この年は1955年にニューヨークで最初に開催されたエドワード・スタイケン (Edward Steichen) 企画による 「ファミリー・オブ・マン (Family of Man)」 展がチェコスロバキアで開催された年 (ちなみに日本でこの展示会が開催されたのは1956年 (昭和31年) のこと) で、最終的に世界37ヵ国を巡回し、50万人を動員することになる展示会は、そのカタログ共々大きな反響と影響を与えることになるのだが、ソーデックもその例に漏れず、展示会とそのカタログから大きな影響を受けている。
ソーデックの初期を代表する1966年に撮影された作品 "Life" にみられるヒューマニズム賛歌には 「ファミリー・オブ・マン (Family of Man)」 からの影響が強く感じられる。
1969年、訪米し、しばしアメリカに滞在。
キュレーターのヒュー・エドワーズ (Hugh Edwards) から励ましを受け、インディアナ大学ブルーミントン校 (University of Indiana, Bloomington) では初の個展を開催した。
プラハの春の頓挫以降、体制の締め付けが厳しくなったチェコスロバキアにおいて、ソーデックの写真は社会秩序を乱すものとして秘密警察の監視対象となり、表現活動は地下に潜らざるを得なくなった。
また、折り合いの悪くなっていた妻 Marie Geislerova と1973年に離婚し、翌1974年に Marie Sramkova と再婚。
この頃のソーデックは経済的にかなり逼迫した状況に追い込まれていたが、そのことがかえってソーデックの創造性の後押しとなったという。
1970年代後半になると19世紀中頃に流行した好色写真家による 「活人画」 を思い出させるような、着色したエロティックな写真の制作に取り組むようになり、プラハの芸術コミュニティ内徐々にで評判となっていった。海外にソーデックの名前が広がり始めたのもこの頃のこと。
1983年、フリーランスの写真家として活動を開始。最初の写真集 "The World of Jan Saudek" が英語版、ドイツ語版、フランス語版で出版された。
1984年、芸術が有名となったソーデックに共産党政府は工場労働を免除し、代わりに芸術家の労働許可証を付与したが、依然、秘密警察の監視下に置き続けた (フリーランスの写真家として活動を始めたのはこの年かもしれない)。
1987年、秘密警察は他のアーティストへの警告も兼ね、ソーデックの自宅からネガを没収。しかし廃棄処分等の処置はされず、後に返還された。
ソーデックはこの警告の後も以前と変わらぬ活動を続け、1989年11月のビロード革命でその監視下から開放された。
Jan Saudek のカタカナ表記について。
ヤン・ソーデック、ヤン・ソーデク、ヤン・ソウデック、ヤン・ソウデク、ヤン・サウデック 、ヤン・サウデク、ジャン・ソーデック、ジャン・サウデク、イアン・ソーディック
このように、検索していくといくつものカタカナ表記が現れた。
という言い方だと自然と目に付いた感じになってしまうのだが、それは3つ4つ辺りまでで、途中からムキになって探し始め、9つ目の表記を見つけたところで飽き、それ以上表記を探すのを止めてしまったというのが正しく、しつこく探せばまだ1つや2つ採取出来たかもしれない。
かつて斎藤緑雨はドイツの文豪 Goethe の日本語表記のあまりに酷い氾濫っぷりについて 「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」 と川柳を詠んだ。
それに習おうとしたところ、どれがギョエテでどれがゲーテに当たるのかがまず判断できないという当たり前のことを思い出し、緑雨のことは忘れることにた。
ということで、カタカナ表記は鬼門だ。
(※その後 Wikipedia の日本語版にヤン・ソーデックという項目ができたので、表記はそれに倣うことにした)
場合によっては着色されもするソーデックの作品は、頽廃した人工楽園のようであり、腐蝕していく夢の世界を思わせもするのだが、その黄昏ゆく世界はなんであれ儚く美しい、といった見方をされることが多い。
いや、他の人はどうだか知らないが、僕はそういった見方をしてきた。
だが、ソーデックのそういった写真スタイルは、体制の厳しい監視下、地下の薄汚れたスタジオで練り上げられたものなのである。
ヤン・ソーデックの作品には、壁、窓、銃、子供、妊婦、臀部、トランプ、豊満な女性、路上・・・・・・といったモチーフが繰り返し出てくる。
その中で最も重要なモチーフは体制の監視下に置かれる中で制作に励んでいた地下のスタジオをぐるりと取り囲んでいた壁面を想起させる 「壁」 であるらしい。
であるなら、「窓」 も外界に通じるという意味で重要なモチーフと言えるだろうし、屋内の閉ざされた世界で演じられている狂態 (というほどのものでもないのだが) とエロティシズムも体制に抗する何かであったのだろう。
ソーデックの写真に退廃や耽美を求めるか抵抗の技法や寓意を読み取るか、なんてことを言い出すと鬱陶しくなってしまうが、退廃や耽美を追求したかのようなソーデックの作品に別の側面があるということは頭の片隅に置いておいてもいいのではないだろうか。
そして、気が付くとそういったことが必要な時代の中に自分たちがいるのかもしれないという陰謀論めいた妄想もついでに自分の中に抱え込んでおこう。
2008年に 「ヤン・ソーデック写真展」 を開催した 「ギャラリー ときの忘れもの」 のブログに 「ヤン・ソーデックの非日常と、野田哲也の「日記」」 という、写真展終了後に書かれたエントリがある。書かれているのはギャラリーのオーナーだと思うのだが、大学を卒業して就職浪人をしていた頃にチェコスロバキアで 「プラハの春」 が起きたそうで、そのこととヤン・ソーデックを重ね合わせて書かれた内容は短いながらも教えられるところがあり、参考にさせてもらった。
敬愛する写真家の一人である村田兼一が影響を受けた写真家としてヤン・ソーデックの名前を挙げていたのを思い出し、調べてみたところ、「影響を受けた芸術家や文学者は誰か」 との問いに答え、荒木経惟、ジョエル=ピーター・ウィトキン、ピエール・モリニエ、イリナ・イオネスコ、澁澤龍彦といった人たちの名前と共にヤン・ソーデックの名前を挙げていた。
以前、福武書店 (現ベネッセ) からジム・ダッジ (Jim Dodge) の 『ゴーストと旅すれば』 という小説が出ていた。
この 『ゴーストと旅すれば』 のカバーには印象的な写真が使われていたのだけど、それがポストした作品の1枚目がそれで、チェコの写真家、Jan Saudek の作品だった。この邦訳が出た90年代の初め頃、海外では、Daniel Lanois や Soul Asylum などがアルバムのジャケットに Jan Saudek の作品を使っていたこともあって、目にする機会が多かったのだ。日本でも写真集が出版されていたので手にしたことのある人は結構いたのではないだろうか。
『ゴーストと旅すれば』 の原題は "Not fade away"。もちろんバディ・ホリーの曲からとられていて、この小説の中ではストーンズのカバーがラジオから流れてくる。この "Not fade away" は名曲であり、バディ・ホリーの原曲もストーンズのカバーもボクはもちろん好きで、小説では時代の象徴として使用されているということももちろん理解しているのだが、それをあえて 『ゴーストと旅すれば』 としたという訳者のセンスも好きなのだ。
脱線するが、当時、福武書店からもう一冊、「旅」 という文字の入った海外文学が邦訳されていて、それが神棚に飾りたくなるほど好きだった (もちろん今でも大好きだが) スティーヴ・エリクソンの 『黒い時計の旅』 で、もう一冊、翻訳された時期と出版社は違うが、イタロ・カルヴィーノの 『冬の夜、ひとりの旅人が』 という小説があり、「旅」 という文字が入った海外文学ベスト3と勝手に呼んでいた (セリーヌの 『夜の果てへの旅』 は入れるとバランスがおかしくなる (何の?) ので別枠扱い)。
で、ブログを始めるに当たってタイトルをどうしようかと悩んでいた時、参考にしようと眺めていた本のタイトルの中に 『ゴーストと旅すれば』 があった。これがいいんじゃない?というゴーストの囁きに従い、ブログのタイトルはこの小説の邦題から頂くことにしたのだった。
ポストしたのは、
"Temptation" (1965)
"Fate Descends towards the River Leading Two Innocent Children" (1970)
"Two Women" (1974)
"The Knife" (1987)
"The Belly of the Night" (1988)
"Parabellum, 9 mm" (1983)
"Goodbye Jan!" (1994)
"This Star is Mine" (1975)
"2 Big 4 U" (1981)
"A Little Golden Cloud spent the Night on the Bosom of a Giant Cliff (Lermontov)" (1985)
の10点。
最初にポストしてある "Temptation" が 『ゴーストと旅すれば』 のカバーに使用された作品。
Jan Saudek
Wikipedia
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